銀座のクラブは、お客様がご来店になっても自らお名刺をねだりません。
ご挨拶で差し出した名刺や会話をする中で戴いたお名刺には、たいてい三日以内には「 御礼状 」なる手書きのお手紙を書きます。
昔から、勤めていた店のママやお姉さんホステス達は「 御礼状 」をまめに書いていたし、銀座以外を知らない私にとっては当たり前のことでした。
銀座に入った当初は、縦書きの文字が書けない。横書きならなんとか・・・でも、それもとてもお客様へ出せる手紙にならない程に下手ッピで。
慌てて本屋へ飛び込みバイブルなる本を数冊買い、 “ ボールペン習字 ” とか言う通信教育を申し込んだり(三日坊主になり私は通信教育の様な、自主勉強には向いてないことが分かりました)。バイブルを参考にお客様への「御礼状」を実践して勉強しました。
ドキドキのポスト投函。そして予想を裏切らないお客様からのダメ出し。
誤字が多い、と言われたことも(これは、辞書や引用文字を間違えて使ったせい)。
でも、「字は上手とは言えないけど、一生懸命に書いてるんだよなぁ、、」とか、「のりちゃんの手紙はぁ、一文字ひと文字を一生懸命に書いているのが分かるんだよー」とか。ダメ出しの中にも温かさが有って、素直に嬉しかったです。
独立してからは、長年来のお客様から「 なんか、字が上手になったね! 」と言う嬉しい言葉を訊くことも有り、逆にお客様からの「 お礼状 」(何方も達筆で感心させられるお手紙ばかり)を戴くことも、幾たびか有りました。
内容は黒服のスタッフや女性達や会話、店内の雰囲気にまでいろいろ、これが銀座と言うお褒めの言葉に嬉しくも、身が引き締まる思いがいたしました。
今までもこれからも、私の “ 心の羅針盤 ” となって、大切にしまってあります。
長いコロナ禍ですが、最近別な意味で「御礼状」を書くことを “ 迷う、躊躇してしまう ” という、私の銀座人生四十年のなかで初めての感覚を経験いたしました。
ベストセラー作家の濱嘉之先生がお越しくださったときには、戴いたお名刺を眺めつつ、ペンをなかなか手に取れませんでした。今回の「 文藝春秋 」に寄せられた寄稿文「 上野精養軒百五十周年 」も心に響く素晴らしい内容でしたし(私が評価するのもおこがましいですが)、お手紙を書こうとすると、いろいろなことが頭をよぎってしまうのです。
(作家の先生に手紙・・・大丈夫?添削されて戻されたりして(それも贅沢か)、それならまだ勉強になるからいいけれど、私一応店のオーナー。ママだから。「 御礼状 」を読んでかえって店の格を下げて再来店に繋がらなかったら意味が無い。等々・・・)
まだ日差しが強い中をカーテンを全開に明るい部屋でコーヒーを飲んでも、陽が傾き犬の散歩をしながらも頭から離れずに、やっぱり迷い、なかなか不安な思いを払拭出来ずにおりました。
こんなことを書いたら、ママらしくないと思う方がいるかもしれませんが、案外そんな感じ。
ジミーな東京下町育ちの私です。こんな私が29年店を続けてこられたのは「 銀座 」の凄いところ。まさに “ 銀座の成せる技 ” です。
ともあれ無事に、濱嘉之先生への「 御礼状 」を書き終え投函。
ほどなくして郵便物の間から白い和紙封書を見つけたときの胸の高鳴り・・・(そう言えばラブレターを受け取ったときもこんなドキドキ感は無かった。あ、ドキドキの意味が違うか)。封書の裏には先生のお名前と、左に小さく「 鳩居堂 」の文字が。(やっぱりこだわっていらっしゃる。)
私の手紙に何か間違いは無かったかと不安になる気持を抑えながら、便箋三枚に目を走らせました。
サーっと読み進めたので便箋にも有った先生のお名前と「 鳩居堂 」の印字に気付かず。
特注の便箋も流石作家の先生は違うのに。
文章にあったお薦めの美味しい “ ふぐ料理屋 ” の店名も頭に入らなくて、とにかく無事だった、安心、良かった。と
もうそればかり。
丁寧に書かれた万年筆の文字は男らしくて正義感まで感じてしまう程に、且つ流麗で私への気遣いの言葉で締めくくられた文章は澱みが無くて美しく、本当に惚れ惚れするお手紙でした。
読み終えたときの清々しさと、先生の温かい笑顔がそこにあり、お陰で心の底から元気が湧いてきました。
「 花詩集 」は企業に勤めるお客様がほとんどですので、コロナ禍で会社へのお手紙やご案内状、年賀状までがはばかれるようになりました。
私の様な、昔ながらの “ アナログな銀座 ” は時代とともに消えてゆく運命なのか・・・、そんな思いが浮かぶことも度々でした。
濱嘉之先生からのお手紙はとても優しくて温かく、出会ったときの印象そのままでした。
人柄の滲む文章と力強い文字に、百倍の元気と勇気をいただきました。人間元気になると、気持が外に向き体も軽くなります。
今年は百五十周年を迎えた日本最古の西洋料理店「 上野精養軒 」へ、昔ながらの伝統あるフランス料理を食べに今行きたい。
記憶の奥から甦る佇まい・・・その昔夢中で観たドラマ「 天皇の料理番 」。堺正章演じる主人公秋山徳蔵を始めに多くの著名な料理人を輩出した「 上野精養軒 」。
明治から今日まで時代を超えて政財界の重鎮達に愛され続けてきた、気の遠くなる様な歴史が刻まれた「 上野精養軒 」へ。
ヘルシー、軽い、おしゃれ、なフランス料理店が時代の主流になって久しいけど、今は昔ながらの伝統ソースをたっぷり使ったフランス料理が懐かしい。心に沁みるダブルコンソメスープを、味わい尽くしてみたいと思うだけで もう心が温まる。
それと、お薦めにあった昔ながらの美味しいふぐ料理を食べさせてくれるという、人形町の「 ふぐ料理屋さん 」。
勿体ぶるわけではないですが、店名はここでは書かないでおきます。
濱嘉之先生、激務の中を「 御礼状 」をくださいまして、本当に有り難うございました。
私の “ 宝物 ” が、またひとつ増えました♪